Discussion Down

またメタファー騒動発生
こういった失言騒動が起こるたびに毎度のコトながら思うのだけれど、何故些細な言葉尻あげつらうだけあげつらって、肝心の内容に対する議論が深められないのか。レトリックの使用に失敗した人間は須くバカなことしたもんだね…と烙印を押されるのはわかっているのだから、そこからハムスターみたいにカゴの中グルグル回ってるんじゃなくて、少しぐらいは足をすすめてみてはどうかと(メタファー失敗、悲劇)。

Tragedy of Knowledge

精神鑑定に持ち込まれて『心神喪失状態』やら『○○性人格障害』やらの特性を当てはめられるのはわりと構わない。だがそれらの特性が一人歩きし、人々の認識の上を通過し、手の届かないところまで行ってしまうのは悲劇以外の何でもない。
心神喪失で無罪放免? 許せない』と憤慨する、『それじゃ仕方ないのかな…』と靄の中で思案する、『なんか恐いわね…』と偏見を持ち続ける、『差別はいけない!』と声を挙げる。選択肢は数あれど、日々生産され留まり続ける、人間の作り出した『特性』に対し、それがいかなるものかを知ろうともせずただ茫然としているわけにはいかない。悲劇的にも、社会の一員となってしまった人間は、無知でいるわけにはいかない。知ることが不幸である可能性はあるのだけれども、知らなければ前にも進めない。騒ぎ立てる前に数多くのことを吸収しなくてはならないのだ。その吸収に制限があるとしても。

Just a moment

アレです。戦争開始時の瞬間湯沸かし器と同じです。言及するならするで、その後も何らかのコメントを出し続けた方が良いと思います。少なくとも一日で終わりなんてもったいない。ネットという環境がそれなりの力を持ち始めた今なんですから、データとしての声をなるべく長く発信し続けるべきです。それが悲劇を和らげる方法の一つになると思います。