孤島主義か侵略主義か、その1

 自尊心が強くて文句言われたら凹んだりイライラしたりする人々にとってはネットバトルといういざこざの類は人生に置いて無縁のはずなのですが、ネットという環境が大衆化されたために残念ながらいざこざの火種があちこちにばらまかれてしまい、自分だけを大切にすると云うことが不可能になってしまったのです。何とも心苦しい悲劇ではないか。
 大衆化こそが悲劇なのだとカンチガイしてもらっては困ります。悲劇なのはむしろ、大衆化される領域にいつまでもとどまり、自らの偏狭な世界観のみに固執して醜悪なナルシズムや己ルールを辺りにまき散らすことに何の恥も罪悪感も感じない、超自我が破壊された人格そのものなのです。
 正直な話、超自我なんてものがあるから人間はいつまで経っても不平不満を抱え続けなければならないのですが、だからといって人間が集団生活を行う以上、欲動の赴くままに生活していくと云うことが果たして可能なのかどうか。そんなことが可能なら、戦争やら宗教やら民主主義やらココロの時代やらといったシステムはとっくに無くなっているし、現時点でそーいったものが存在しているという時点で欲動を抑えていかなければならないと云うことは明白なわけですよぅ。
 欲動を適当な形で発散できる状況を望むと同時に、欲動を適度に抑える姿勢を私は望みますよ、イヤホント。

 …いーかげん『てめぇ、言ってることがむかつくんだよ!』などといった皮肉混じりの物言いを公衆の面前でまき散らすのはやめた方が良いと思います。そんなら見るなって話だけど。