意識される悲劇

ストレスフルイベントが満ちあふれた昨今の状況、少し流行に後れた感はあるものの、今だ「癒し系」の存在は需要たっぷりらしく、人々は癒し系グッズを欲している状況。人々が「癒し系」を語るとき、その言動は常に「だってストレスがたまっちゃって」と不可視な存在を前提としているご様子。
そこで問題になってくるのは、ストレスは癒される&なくすべきものであって、その為に癒し系が必要となるのだという、とんでもビックリな思考プロセス。全てのストレスは、すべからくなくされるべきものであって、人間にとって最良な状態とはストレスゼロな白紙のキャンバス状態らしいのです、わーびっくり、てかそんなコトできるわけないだろ。
環境として存在し続ける&なくすなんてまったくもって無理なストレスに対し、なにゆえこうもコントロール幻想を全開にするのかという不可解な人々に対し、私は常々「そんな無理な話を考える前に、自分をコントロールすればいいだけの話やろ、あんたアホとちゃうの うん、そうだね、世の中大変だもんね、その気持ちとってもよくわかるよ、私はいつだって君の味方だよ♪」とコメントしてあげるのですが、ストレスともっと上手に付き合う方法がないのでしょうか。
つまりは意識されるストレスをなくしてしまえば良い→ということは、そもそもストレスなんて感じないよう自分をコントロールすればいいだけの話です。そこの「ああ、最近ストレスがたまって……」とのたまうそこのあなた、ストレスなんて感じるスキもないほど超大量のお仕事に身を投じてみてはいかが?
要はさっさと例のアレをやってくださいってことです>地元の某氏へ私信