某所の某論争の(自称)論客に萎えた

善悪論で物事を語るのは、仕方ないというかどうでもいいというか。
人間には善になれる権利があると同時に、悪になれる権利もあるわけです。善だ悪だなんていうカテゴリは、明確な定義を有しているわけじゃなくて、個人のお好みで「私は善なの♪」だの「オレって悪だぜ!」だの自由に入れ替わることが出来るわけです。そこまでは良いです(どうでも)。そこらへんの人間らしさが私は大好きです(主に浅ましさの点で)
良くないのは、「自分は○○だ」という、自己陶酔にも似た思い込みをやらかしてる状態で、「あいつは××だ」と決め付けてかかり、××な人たちを叩くことによってエクスタシーの絶頂を経験する人たちがいるという事実。自分を都合よく切り替える権利はあっても、他人を都合よく切り替える権利なんてありませんよ。コレが二元論的悲劇。ある種、コミュニティ内の悲劇。