そしてこの記事にも想像しすぎな罠がちりばめられています

シャレのつもりで言ったことが周りに伝播して、それをシャレとして捉えられず、文字通りの意味で理解した人が暴走してしまった場合、この場合しょっぱいのは「シャレを言った本人」なのか「暴走した本人」なのか。
いや、まぁ、しょっぱいのは明らかに後者なんですが、ネタの質自体が見方によっては「シャレになってない」ものなのに加えて、前者の語り口や態度も見方によっては暴走を煽るようなものなので、「ひょっとするとシャレを言ってるこの人も暴走してんじゃないの?」と思わせる状況にあるというのがムズムズするところ。玉虫色って綺麗だけど不気味に見えることもあるからこわーいっていうアレ。
しかし一番の問題は「見方によって」という想像しすぎな罠が発生するところなのよね。結局こういうコミュニケーション問題は、私たちの過剰な想像によって成り立ったったり破綻したりしているんでしょうねぇ、まる(まとまりのないアレ)